クリムト①
クリムトが絵画に携わり
出した
頃のお話。

クリムト②では
金ピカクリムトが分離派で
活躍し出したお話。

今回は
クリムトと女性についてを語らないわけにはいかないでしょう。

*ベートーベンフリーズなど、
有名な壁画にまつわるお話など、
クリムトについてはまだまだつきませんが
それは、また今度の機会にお話します。

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1、クリムトの生涯最愛の伴侶

・ 二人の関係性と年齢差

・ 彼女をモデルにして描いた絵

・ クリムトの最期とエミーリエ

・ プラトニックな関係であった理由

・ エミーリエ以外の女性との関係

 

2、クリムトのモデルは愛人?

・ アデーレ・ブロッホ=バウアーとは

・ 豪華なチョーカーについて

・ [接吻」

 

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1、クリムトの生涯最愛の伴侶

グスタフ・クリムトは生涯独身でした。
きっと、エミーリエへの想いが非常に
強かったのでしょう。

・二人の関係性と年齢差

グスタフ・クリムト(1862年生まれ)と
エミーリエ・フレーゲ(1874年生まれ)は、
12歳の年齢差を超えた
深い精神的な結びつきを持っていました。
この年齢差は、彼らの関係に
独特のダイナミクスをもたらしました。
クリムトがエミーリエと出会った当時、
彼は既に芸術界で名声を確立しており、
彼女は自らのキャリアを築き始めたばかりでした。
この時期から彼らの関係は始まりました。

クリムトとエミーリエの関係は、
単にアーティストとミューズの
関係を超えていました。
彼らは私生活でも非常に密接な関係を持っており、
クリムトがエミーリエの家族と共に旅行に
出かけることもありました。
この事実は、彼らの関係がどれほど深く、
個人的なものであったかを示しています。
特に、エミーリエの家族が所有する別荘への旅行は、
クリムトにとっても創作活動の
豊かなインスピレーションの源となりました。
これらの旅行は、彼らの間の絆を深め、
クリムトがエミーリエだけでなく、
彼女の家族とも親しい関係を築いていたことを示しています。

・ 彼女をモデルにして描いた絵

エミーリエはクリムト作品の中でも
特に『エミーリエ・フレーゲの肖像』で知られています。
この絵は彼女の内面の美しさと独立した精神を捉えており、
エミーリエの強さと彼女がクリムトの
人生において持つ重要性を表現しています。
エミーリエの肖像は、彼女がただのミューズを超え、
クリムトの精神的なパートナーであったことを物語っています。

・クリムトの最期とエミーリエ

1918年、クリムトが亡くなる間際、
彼はエミーリエを自らのもとに呼びました
この行動は、彼女が彼の人生において
どれほど重要な存在であったかを示しています。
エミーリエは、クリムトの生涯における
最愛の人であり、彼の芸術と心に深く影響を与えた人物でした。

・プラトニックな関係であった理由

クリムトとエミーリエの関係がプラトニックであった理由は、彼らが互いに対して抱いた深い精神的な結びつきにあります。彼らはお互いを知性と芸術のパートナーとして尊敬し、その関係は肉体的な結びつきを超えたものでした。このプラトニックな愛は、彼らの間の強い精神的なつながりを強調し、彼らの関係を特別なものにしています。

・エミーリエ以外の女性との関係

クリムトは生涯にわたって多くの女性と関わりを持ちましたが、
これは彼の時代の社会的・文化的背景と
彼自身の芸術的探求に起因します。
クリムトの作品は性と生命のサイクルを探求しており、
彼の生活と芸術は密接に結びついていました。
しかし、エミーリエとの関係は、
彼が他のどの女性とも持たなかった
精神的な結びつきと尊敬に基づいていたため、
特別なものでした。
彼女はクリムトの人生と芸術の両方において、
唯一無二の存在となりました。
他の女性との関係が彼の作品に
インスピレーションを与えたかもしれないが、
エミーリエとの関係は、
彼の心と魂に深く影響を及ぼしたのです。
彼女は彼の最も深い感情と思索の対象であり、
そのため彼の作品においても、
特に顕著な位置を占めています。

このプラトニックな関係
クリムトの創造性にどのように影響を与えたのかは、
彼の作品を通して明らかです。
エミーリエは、彼の芸術の中で
永遠の美と精神的な理解の象徴となりました。
彼女は、クリムトが描いた
多くの肖像画の中で最も印象的なモデルの一人として、
後世に記憶されています。

クリムトとエミーリエの物語は、
時間を超えて多くの人々、
特に女性に響きわたるロマンスです。
彼らの関係は、芸術を通じて
深い精神的なつながりを築くことの
美しさを示しています。
彼らのプラトニックな愛は、
肉体を超えた魂の絆の可能性を示唆しており、
これが彼らの関係を特別なものにしているのです。

2、クリムトのモデルは愛人?

エミーリエには求めることのできない
肉体的な欲望のはけ口となったのは、
主に彼のモデルであった。

何人ものモデルが着衣で、
あるいは裸で出番を待つ彼のアトリエは
さながらハーレムだった。

クリムトが世をさった時、
何人もの元愛人が遺産目当てに裁判を起こしたが、
その時判明したのが、彼には少なくとも
14人の私生児がいたことである。

グスタフ・クリムトの代表的なモデルである

アデーレ・ブロッホ=バウアーに関するお話です。
彼女はクリムト作品の中でも特に有名な存在で、
その背景には興味深い物語があります。

・アデーレ・ブロッホ=バウアーとは
アデーレ・ブロッホ=バウアー(1881年-1925年)は、
ウィーンの裕福な銀行家家族に嫁いだ社交界の名士で、
フェルディナント・ブロッホ=バウアーの妻でした。
彼女は教養があり、芸術愛好家であり、
特に現代美術に深い関心を持っていました。
アデーレはウィーン分離派のサークル内でも活動的であり、
その美術館や展示会に資金を提供するなど、
芸術家たちを支援しました。

・豪華なチョーカーについて
アデーレ・ブロッホ=バウアーを描いたクリムトの
最も有名な絵画『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』(1907年)
では、彼女が身につけている装飾的なチョーカーが特に印象的です。
この絵画には、金箔を多用し、
ビザンチン美術の影響を受けた
装飾的なスタイルが見られます。
チョーカーはその豪華さと細部へのこだわりで、
アデーレの洗練された美しさと富を象徴しています。
このチョーカーは彼女の
夫からのプレゼントとされています。
クリムトは、彼女の肖像画を通じて、
アデーレの個性や内面の輝きを捉えるとともに、
当時のウィーンの上流社会の華やかさを表現しました。

アデーレとクリムトの
関係アデーレ・ブロッホ=バウアーとグスタフ・クリムトの関係は、
深い尊敬と芸術的な共鳴に基づいていましたが、
彼女がクリムトの愛人だったと囁かれていました。
アデーレはクリムトの作品に深く影響を与え、
彼のミューズの一人となりましたが、
彼らの関係が肉体的なものだったかどうかについては、
憶測の域を出ない部分があります。
アデーレの夫、
フェルディナントもクリムトの芸術を高く評価しており、
夫妻はクリムトの重要なパトロンでした。

アデーレ・ブロッホ=バウアーという人物は、
クリムトの芸術において重要な役割を果たしましたが、
彼の作品全体におけるミューズとしての存在は、
彼の多様な作品群と彼の芸術に対する探求心により広がっています。
クリムトの作品は、彼自身の人生と情熱、
そしてウィーンの社会と文化の複雑な織りなす
背景の中で生み出されたものであり、
アデーレ・ブロッホ=バウアーはその中で
輝く一つの星と言えるでしょう。

・[接吻」

クリムトの黄金様式の頂点を示す作品の一つです。

クリムトと愛人関係にあったという

アデーレ・ブロッホ=バウアーとクリムト本人の絵だと言われている。

日本に影響を受けたと思われる屏風のような背景が宇宙空間であるかのような印象を受ける。

足元の花園も非現実的であるが、その端の断崖のような部分にかろうじてかかった彼女の両足も、2人の瀬戸際の運命的な愛を暗示している。顔や手をのぞけば、絵というよりは工芸品的な美しさを見せる写真である。

アデーレ・ブロッホ=バウワーの夫は大実業家である。密かな愛。。。。。

アデーレ・ブロッホ=バウアーに関する物語は、
芸術と愛、そして時代を超えた美の探求についての物語です。
彼女とクリムトとの間に何があったにせよ
彼女が彼の作品に与えた影響は計り知れないものがあります。
そして『接吻』のような作品を通じて、クリムトは私たちに愛の永遠の美しさとその表現の可能性を教えてくれているのです。

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 いかがでしたか?
このクリムトのお話で、
あなたの印象に残ったものはなんでしょう?

今回は、クリムトの数ある作品の中で
「接吻」をテーマにした
フラワーアレンジメントを制作します。
次回は、制作の様子をお知らせします。

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