目次
1、ご無沙汰しております
2、コロナが始まった
3、息子のオーストラリア留学
4、コロナ禍でのオーストラリア旅行
5、世界的な緊急事態宣言とオーストラリアの状況
6、息子の帰国と隔離生活
7、再びオーストラリアへ
8、トランクルームの荷物整理
9、ゴールドコーストでのリゾート生活
10、帰国前の陰性証明取得

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1、ご無沙汰しております

しばらくご無沙汰しておりました。

先週、コロナに感染してしまいました。

自宅でお仕事ができると思っていたのですが、
体調の悪さに負けてしまいました。

これから少しずつ、
リハビリという感じで体力を戻していきます。

コロナ感染は2度目です。
1度目はオーストラリアでした。

だいぶ遡りますが、
オーストラリアでの様子からご紹介したいと思います。

2、コロナが始まった
確か、2019年から息子はオーストラリアに留学していました。

2020年お正月に一時帰国。

次にオーストラリアに戻る時には
寮の引っ越しを計画していました。

私は喜んで一緒に行って、
引っ越しを手伝うことにしていました。

そんな時、2020年1月15日に
日本で初のコロナ感染者が確認されたのです。
武漢からの帰国者でした。

いろいろな国が入国拒否などを始めたので、
予定を早めて慌ててオーストラリアへ飛びました。

ちなみに、中国で仕事をしている弟も同じ頃に
マスクを沢山持って中国へ入り、
それから4年間一度も帰国しませんでした。

3、息子のオーストラリア留学

オーストラリアでは、中国人が責められていたり、
中国人の入国拒否が始まっていました。

これには少々心配していましたが、
メルボルンに降り立つと、
日本とは全く違う雰囲気。

いつものように親切で明るい国民性。
アジア人を嫌がる感じは全くありません。

ベンチに座っているだけで、
にこやかに話しかけてくるのです。
マスクをしている人もいません。
私たちの気分も一気に晴れました。

「オーストラリアの人達、全然
コロナを気にしていない見たいよね!」

などと話していました。

4、コロナ禍でのオーストラリア旅行

寮の鍵をもらうと、引っ越しです。
森のような場所にある寮なので、
蜘蛛の巣の多さに驚きました。

蜘蛛の巣ってあの形ですよね。
多すぎて、縦に棒のようにつらなって散るんです。

信じられない!

一旦荷物を運び入れたら、
ショッピングモールに行って
大量の掃除道具や食器、シーツ、枕などを買って、
まずは大掃除。

すごい勢いでこなしていきます。

すごい勢いには理由があって、

大好きなゴールドコーストへ旅行に行く計画だったから、
そこを目指しての必死の準備。

部屋は見違えるほど綺麗になって一安心。
無事にゴールドコースト旅行を楽しめました。

そして、私は無事に帰国。

この頃は、日本入国のための検査などもありませんでした。
留学予定だった中国人はリモート授業になったようです。

5、世界的な緊急事態宣言とオーストラリアの状況

しばらくすると、世界中が緊急事態宣言を出したりと、
とても厳しくなったのです。

オーストラリアもパニック。

トイレットペーパーを取り合う人がいたり、
食品も足りなくて、
銃を持った警察がずっと街を監視しています。

普段、朗らかで自由なオーストラリア人は、
だんだんと耐えられなくなって病んでいったようです。

6、息子の帰国と隔離生活

息子の寮の玄関の下からガシャガシャと音がすると思ったら、
包丁でガチャガチャやっているのが見えたそう。

そこで、ハッと気づいた息子。

鍵をかけていなかったことを思い出し、
ドアノブが回された瞬間、
バタバタガチャン!

危機一髪で、鍵を閉められたそう。

アフォです。

誰かが警察を呼んだそうで、
その後はどうなったのか知りません。

この頃には、オーストラリアにいても
授業はリモートだったそう。

外出もできないし、
だんだんと息子も病んできました。

初めは「頑張って!」と言っていた私も、
「帰っていいですか?」「いいよ!」と答えていました。

帰りは、メルボルンからシドニー乗り換え。

国際線と国内線ってだいぶ距離があるのですが、
バスに乗ることは許されずに、

銃を持った警察官の後について
地下を通ったりして徒歩で移動。
まるで映画です。

この頃になると、
日本では空港でのコロナ検査が実施され、
翌日から1週間の隔離が義務付けられていました。

厳しかったですね。

陰性だったのに公共交通機関を使うことも許されていません。

私は、車で羽田に息子を迎えに行きました。
羽田は近いし、慣れています。

ところが、何度も空港敷地内で道を間違えて
ぐるぐる回って、なかなか着かないのです。

どうなってる?
ロイヤルパークホテルがあるから、

え?!

ここだ!

なんと、何度も国際線ターミナルを通り過ぎていました。
あまりにも、今まで知っているターミナルと違い過ぎます。

人はいない。

バスもない。

タクシーもない!

なんだか怖い〜

息子と合流すると、
ほっと安心。

ANAの職員さんは心温まるお手紙を荷物につけておいてくれました。

無事に送り届けていただき
ありがとうございました。

この頃、娘の友人が憧れのCAになるために
頑張っていましたが、
採用がなくなってしまってウーバーのバイトをしていたりと、

すごい時代になってしまっていましたね。

車に乗ると、
その足で二子玉川の
美登利寿司と鼎泰豊へ。

動けないほど日本を堪能しました。

その後は自宅近所のウイークリーマンションを借りて、
隔離生活です。

変なシステムでした。

そこからは、
日本とオーストラリアのリモート授業。
時差がほとんどないのは良かったです。

7、再びオーストラリアへ

結局、リモートのままで卒業を迎え、
就職も決まりました。

就職についても色々とあったのですが、
それはまたいつかの機会に。

オーストラリアから逃げ帰ってきた時、
まさかこんなにコロナが長引くとは思っていませんでした。

だから、大量の荷物はトランクルームに預けたまま。
3000円ぐらいだったと思いますが、
それでも毎月決済されるのはいつも気になっていました。

就職先での仕事が始まるのは2022年5月。

息子の時間に少し余裕があったのと、
あんなに厳しかったオーストラリアが規制を解除。

日本でも3回のワクチン接種とコロナの検査で渡航が可能になりました。

このタイミングしかない!と、
また親子でオーストラリア入り。

羽田空港はゴーストタウン空港のまま。

免税店などはほぼ閉まっていて、閑散としていました。

ところが、オーストラリアに到着すると、
すっかり明るいオーストラリアに戻っています。

ただ、マスクは皆さんしています。

この活気、久しぶりです。

8、トランクルームの荷物整理

車を借りて、ショッピングモールへ行って
オーストラリアの口座を解約。

その後、いよいよ倉庫へ。

1年以上預けていた荷物が
どうなっているのか恐る恐る開けてみると!!

どうにもなっていないではないですか!

狭いボックスですが、ちゃんと空調が通っていました。

その場で、捨てるものと持ち帰るものの整理。

二人で2個ずつ大きなスーツケースを持って行っていました。
なかなか大変な作業。

シャスールの鍋まであります。
すごく重いけれど、これは絶対に持ち帰りたいもの。

電動キックボードと掃除機はリサイクルショップに売りに行きました。

9、ゴールドコーストでのリゾート生活

いつもキッチン付きのホテルに泊まっています。
作ったり、テイクアウトの生活。

一度だけ、イタリア街で路上のレストランで食事。

美味しかったです。

ほとんどのレストランが路上に席があります。
感染予防には良いですね。

すっかり片付けが終わったら、
お楽しみのゴールドコースト。

大荷物は、メルボルンの空港に預けていきます。

いつものサーファーズパラダイスに宿泊。

サーフィンをしたり、
お買い物をしたりと、久しぶりのリゾートを楽しみました。

10、帰国前の陰性証明取得

日本へ帰る前に、コロナの陰性証明が必要です。
ゴールドコーストの空港での検査に行こうとしましたが、
電車とバスの乗り継ぎが少し面倒になりました。

検索するとサーファーズパラダイスにも
検査場があって、そこへ向かったのですが、
検査結果は1日後にならないと出ないと言われ、
メールで送ってもらうことになりました。

今思うと、一日経つのなら
帰りのゴールドコースト空港で
即日検査すれば良かった。

この続きはまた次回。

#オーストラリア留学
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#親子の絆
#旅の思い出

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