私たちのお仕事では、OPEN祝いのご注文を多くいただきます。
大きな商業施設などでは、
OPEN前にお花をお届けするので、
誰よりも早く中に入ることができます。
搬入口からですけどね。
すると、警備員さんも慣れていなかったり私たちも迷子になったりと、
毎回ドキドキしながら作業をしています。
反対に、創業100年を超える老舗に周年祝いのお花をお届けする時は、
また違った緊張感があります。
資生堂様やセイコー様のような歴史ある企業の
立派なビルにお邪魔する際は、
その場の厳かな雰囲気に圧倒されます。
長年の歴史を感じながら、
お花をお届けする瞬間は、
身が引き締まる思いです。
随分と色々なところへ行かせてもらいました。
綺麗なお花を作成するのは当たり前のこと。
テーマはお届け先の会社のカラーに添ったものを考えます。
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1、日時の厳守と余裕を持つスケジュール
2、お花の荷造りと運転の工夫
3、ロサンゼルスでの運転エピソード
4、豊島屋様へのお花お届けとその準備
5、豊島屋様の歴史と「鳩サブレー」の誕生
6、黄色いお花の選定
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1、日時の厳守と余裕を持つスケジュール
日時の厳守。
これには、ドキドキすることが多いのですが、
私は大分多めに時間を見ます。
それが身についているのか、
日常生活でも常に余裕を持ったスケジュール。
余裕を持ちすぎて、待ち時間が多くなりますが、
焦るよりもその方がいいです。
通勤時に、
毎日走っている方を見かけますが不思議に思います。
田園調布にいた時なんて、
毎朝同じ女性が桜坂を走って下って
しかも、頭にカーラー巻いているのです。
私の中で、名物でした。笑!!
2、お花の荷造りと運転の工夫
荷造りが重要です。
繊細なお花を傷つけないよう守ります。
お花の向きにも注意して絶対に倒れないよう車に乗せます。
運転は、バケツの水がこぼれないよう慎重に。
私は、サクサクと運転できるわけではなく、
運転が好きなわけでもありませんが、
とても気を使っていて、お届けが終わるとホッとする時です。
3、ロサンゼルスでの運転エピソード
一つエピソードがありますが、
娘がロサンゼルス郊外のオレンジカウンティーに留学していた時です。
私は、毎年オレンジカウンティーに行っていたのですがあの、
ロサンゼルスの高速道路での運転の怖さったらありません。
ものすごいスピードなのです。
経費を抑えようとしたものだから小さな車を借りました。
だから余計に怖くって、
2度目からは大きな車にしたら、
大分慣れました。
3度目は母を連れて行ったのですが、
私があの道を運転することにとても驚いていました。
二人で、
「私が今までお仕事で散々車を運転していたのは、
このためだったのかもしれない!!」と言っていたほどです。
これだけ運転していても、大分長くゴールド免許なのは、
私の自慢するところです。笑
4、豊島屋様へのお花お届けとその準備
今回も、素敵なお仕事の注文をいただきました。
以前から、親しくさせていただいていた秘書の方から
ご注文をいただくのですが、
その方は数年前から秘書室長になられてから、
年末のご挨拶をする程度になっていて
他の秘書からのオーダーになっていたのですが、
久しぶりに秘書室長自らのご注文。
これは、何か特別だと思い、
内容を確認すると100年越え老舗です!
鳩サブレで有名な豊島屋様の創業!
なんと!130周年のお祝いとのこと。
今まで、全くお花の指定がなかったのに。
今回は「イメージカラーは黄・白といった感じでしょうか」
の言葉が添えられてました。
金額も、普段より大きいです。
これは、しっかり調べなくては!
5、豊島屋様の歴史と「鳩サブレー」の誕生
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検索すると、すぐに出てきました。「鳩のつぶやき」ですって。可愛い。
以下引用:
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始まりは一枚の頂きもの。 それは店を始めて間もない明治30年頃のことでした。ある日、店に訪れた異人さんから、見たことのない大きな楕円形のお菓子をいただきました。それを口にした初代店主は、「なんておいしいお菓子なのだろう」といたく感動し、「これからの日本の子ども達に喜ばれるのはこれだ!」と確信しました。でも、人まねは嫌いだった初代は自分で新しい時代のお菓子を創ろうと思い、その日から試行錯誤の日々が始まりました。
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納得のいく「ワリ」 味のポイントがバターだと気づいた初代。しかし、当時はバターなどといったハイカラなものが、簡単に手に入る時代ではありませんでした。横浜の異人館に足を運び、なんとか調達した貴重なバターを使って、試作に明け暮れる毎日でした。原材料の配合比、いわゆるレシピのことを「ワリ」と言いますが、試行錯誤の末、ようやく納得のいく「ワリ」が完成しました。
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「鳩サブレー」誕生 ちょうどこの頃に、欧州航路から帰国した友人の船長が店にやって来たので、試作を食べてもらうと、「おや?これは私がかの国で食べたサブレーというお菓子に似ているぞ」と言われ、初めて「サブレー」なる言葉を知りました。どこか「三郎(サブロー)」と語呂が似ていて、親しみを感じたようでした。鶴岡八幡宮を崇敬していた初代は、かねてから八幡様にちなんだお菓子を創りたいと考えていました。本殿の掲額の「八」の字が鳩の抱き合わせで、境内の鳩が子ども達に親しまれていたことから、このお菓子を鳩の形にし「鳩サブレー」と名付けました。「鳩サブレー」の誕生です。
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認められるまでの道のり ところが、バターがまだ庶民の舌には縁遠かった時代。食べ慣れない味にお客様はつかず、ほとんど売れませんでした。それでも、これからの時代はこの味が好まれるようになると確固たる信念を持っていた初代は、地道においしさを追求します。その甲斐あって、大正に入り、秋場隆一氏、竹内薫兵氏の二人の小児医博士から「離乳期の幼児食に最適」と推薦していただき、御用邸からもご用命をいただけるようなり、完成から10年以上経ち、ようやく皆様のお口に入るようになりました。
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鳩サブレーはもっとおいしくなる しかしその後、時代の波に翻弄され、関東大震災で店が全壊し、再建を図って再び活気を取り戻したものの、やがて戦争が始まり、長い間、お菓子が作れない時代が続きました。苦難の時代を乗り越え、戦後の高度成長期と共に、鎌倉も観光地としてにぎわいを取り戻します。